コロナウイルスワクチンをうった日、
夜中、
激しい嘔吐、めまい、尋常じゃない寒気、高熱の副反応があって、
薬を飲みに移動することも出来なくて、
ただひたすら耐えた。
朝になって、子供の幼稚園の準備のため、なんとか解熱剤を飲むことが出来た。
朝起きてきた母に
「副反応で熱が出てさ、」
って話を始めたら、そのつぎの言葉は私から出ることはなかった。
母からすぐに
「祈らないからだ、題目あげなさい」
って言われて遮られたから。
どんなに辛かったとか、熱が何度だったとか、そんなの聞いてはくれない。
大変だったね、とか、辛かったね、とか、今は大丈夫?とか、言ってはくれない。
「お母さんは副反応がでないようにって祈ってたから何も出なかった。題目あげなさい。」
だそうです。
熱が出て辛かった人間に、休めでもなく、さらに題目をあげろって言う。
題目さえあげてれば良い、活動さえしていれば良い。
私が元気じゃなくても。
休むことより、それ。
高齢者は副反応出にくいだけなのに。
私だってワクチンの存在が報道されてからずっと副反応出ないようにって祈ってたし。
でも、私が何を祈っているかなんて、母は知らない。
母のいるときに、仏壇の前で、私がいる時間だけが、母の私への評価になる。
信心というメガネと物差しだけで、祈らなかった私が悪くて、熱があっても題目をあげろという。
その信心のメガネによって、活動しない娘は見えにくくなっている。
自分の親か。
ガッカリする。