子供たちはフッ素をぬるために両側に毛先のあるシリコンの歯ブラシを使っています。
息子が
フッ素両側に塗ったらどう?
って言ってて
両側に塗ったら噛みつきたくなっちゃうでしょ?ボロボロになっちゃうから、噛みつかないならいいけど
って答えてたら、母が話に入ってきて
噛みつかないなんて偉いねぇ、○くん昨日勤行やったから成長したんだ、ね!偉いわぁ。池田先生が守ってくださるから。御本尊様が守ってくださるから、どんどんいい子になるからね、ね!
と。
は?!って感じ。話が噛み合ってないし。
とにかく母は勤行やったってことでその色眼鏡で見始めたから、なんでも褒めている。
そして、ここで、勤行をする子供たちとやらない私への比較と差別が始まったと思う。
なんで最近3人で散歩に行くの?前は行かなかったじゃない。
って聞かれた。
前?
春から行ってるけど、散歩に理由が必要なのか?
散歩に母の許可が必要なのか?
理由を言わなきゃ子供たちと散歩に行くことも抑圧されるのか??
勤行やりたいって言ってるときにやらせてあげなきゃ💢
だって。
別に勤行やらせないために散歩に行ってるわけじゃないし、虫とりやドジョウとりに楽しい季節だし、息子が自転車乗れるようになったからみんなで夕方サイクリングしたり楽しんでるだけなのに、なんか文句言われる。
それと、
子供たちがお茶が飲みたいって言っただけで、
お茶が飲みたいなんて、○くんはお父さんの生まれ変わりだから、○ちゃんはおばあちゃんの生まれ変わりだから、飲みたいんだね
とか、言い出した。
子供は素直だから、そんなこと毎回言われていたら、真に受けて、そう思い込んだらどうしようって、すごく嫌な感じです。
お経本をもらった子供たちは、物珍しさから勤行したいっておもってる。
別に構わないけど、
母に勤行を教わった私は、当時いつも嫌な気持ちだった。
ゆっくりやってって言っても最初はゆっくり始まってもすぐ大人のスピードになって全然ついていけなくて、ゆっくりやってよ!って怒鳴っても全然聞いてくれない。
私がお風呂に落ちてお母さんっ!!って助けを求めても、仏壇の前から動かない、気づかない、子供に無関心、自分の信心勤行のみ。
今、勤行やっただけで、猫なで声でなんでも褒めてくる、その信心第一、それ以外は無駄、みたいな感覚を、子供たちにしてほしくない。
あぁ、これから、あからさまに子供たちの勤行を褒めてくる、そして、そのなんだろ偏った考え、思考、感覚、それを押し付けてくる、それに染まる子供たちを見るのが辛い。