創価学会 宗教二世の日々 創価の母と同居中

創価学会二世です。家庭内のこと、辛くても誰にも言えなくて、blogで気持ちをぼやきます。もし同じような方がいらしたらコメント欲しいです。だよねぇって話したいです。

クリスマス

皆様の子供時代に、ありましたか?

クリスマス。

 

気付いた時には、すでに、疑うこともなかった。

欲しいとも思わなかった。

クリスマス。

 

「うちはキリスト教じゃないから、クリスマスはやらない。」

そう、言われたことを覚えています。

この時期になるとやたらと華やかになる広告。

いつものスーパーの広告でさえ、なんだかキラキラして、ご馳走がたくさん載ってて。

クリスマス、楽しそうだなぁ、とか

プレゼント欲しいなぉ、とか

クリスマスケーキ、食べたいなぁ、とか

最初は子供心に思った気がします。

でも、

仏教なのにキリスト教のことやるなんておかしい、

って母に言われて、

そのうち、

私自身が、

クリスマスやるなんて、みんな仏教のくせに、いい加減でダメだな

って、周りの人たちを見下すような考えになっていました。

親の価値観は子供にとって絶対で、それが正しいと思って、その色に染まります。

子供なのに、

サンタさんにワクワクしたり、

可愛いケーキに喜んだり、

そんなことに期待することなく

クリスマスを楽しめなかったこと、

自分だからまぁいいけど、私の子供だったらかわいそうで嫌だなぁって思います。

時代だったのかなぁって、私が子供のころは今みたいにはまだクリスマスが一般的じゃなくて、一部のお金持ち?のイベントだった、のかな?とか思ったりもするけど、

やっぱり、私の時代にもクリスマスはあって、私はそれを子供なのに、ワクワクもドキドキも手放して、いた。

サンタさんがいるかどうかなんて議論したこともない。

キリスト教じゃないんだから、やる必要ない、

って。

 

でも、思うんです。

今、大人になって、親になった私は、

過去、

クリスマスの時期、

そうやって冷めざるおえなかった小さな自分に、

プレゼント、起きたら届いてるよ

サンタさん、何選んでくれたのかな🎵

ケーキも食べようね

って、

ハグしてあげたいなって。

 

 

親に悪気がないのはわかっています。

でもそうやって、宗教2世の子供たちは、世間一般の子供たちと同じ経験が出来ない、場合があります。

世間一般のことをあきらめるっていうのかな、無いものとして、欲しがることすらなくて、

ちょっとずつ、ちょっとずつ、経験に差が出て、その差がどんどん開いて、

そうやって大人になると、なんだか普通の人たちと上手く話せているか心配になるのです、私の場合ですが。