創価学会 宗教二世の日々 創価の母と同居中

創価学会二世です。家庭内のこと、辛くても誰にも言えなくて、blogで気持ちをぼやきます。もし同じような方がいらしたらコメント欲しいです。だよねぇって話したいです。

心理的虐待

声仏事をなす

魔を打ち破っていかないといけない

言わないのは無慈悲だ

 

母が朝から新聞を読みながらずっと言ってます。

 

そうやって、活動しない私は無慈悲であると責める。

 

学ぶだけではいけない、実践していかないといけない。

やらないとダメなんだ

 

と今も言ってます。

 

脅して宗教強制することは「虐待」と自治体向けに通知がされるそうですね。

 

こんな毎日で、微妙に毎日、ちくちくと、当たり前のように行われる「日常」

これが、親の日常。

これを虐待だと言っても、親は理解しないでしょう。

あまりにも、当たり前のことだから。

 

私は脅されていないのか?

私は否定されていないのか?

これは虐待にはならないのか?

 

ならない気がする。

だって毎日の当たり前だから。

衝撃的な暴力があるわけではない。

食事も教育も与えられた。

だから虐待とは言えないだろうなぁ。

 

しかも

70代のおばあさんが、40代のおばさんに、ちくちく言うのは、ただのいびり?

子供と違って

逃げられなくもないでしょう?

反論することも出来るでしょう?

反発することも、自分の意思で動くことも、出来るでしょう?

 

だから、虐待とは言えない。

だから、耐えなければいけない。

だから、誰にも助けてなんて言えない。

 

 

でもさ、

親に宗教を押し付けられること

それをやらないと自分を否定されること

ボロクソに文句言われること

見えないもの(魔とか福運)で脅されること

子供たちが人質となっていること

いろんなことを突っぱね続けるのも、すっごくストレス。

 

普通の母娘として

普通の話をする人生が良かった。

命令されたり、やらないことで脅されたり、やらないから成長しないとかダメな娘だって否定されたり。

幸せになるための信心なのに

私の母を含めた家庭は、いつも文句や嫌みばかり。

いがみ合いたいわけじゃない。

私はただの受け身。

流すので精一杯。

反論しても、聞こえないから。

ただ黙って受け流す。

 

普通の母娘がよかった。

 

今回の決定でどこまで心理的虐待としてとってもらえるかわからないけど、苦しんでいる子供たちが救われるといいなぁ。