今日は子供を耳鼻科に連れてから、母の病院まで行ってきた。
9月からアレルギーの舌下免疫療法を始めたので、その経過の診察です。
耳鼻科をおえて、息子を幼稚園に送り、そこから母を迎えにいく。
耳鼻科が混んでたから時間がおしてしまったことを話すと、
そうやって耳鼻科にかからなきゃいけないのに、お題目やめちゃって
題目三唱やらせなくなったから💢
って言い出した。
本人たちに任せてるんだから、強制しないでくれる?やりなさいって言われるだけでストレスなんだからね
そんなことない💢毎週進んで題目三唱やってたのにお前がやらせないようにしたから。子供は素直なんだなら、お前が言ったんだ。
信仰の自由ってあるでしょ、国の憲法で保証されてるんだから
自由なんてないんです💢
他の人は一生懸命折伏して、結婚をやめてでも信心して頑張ってるんだから
ほんーとに変わっちゃった💢
そっくりなんだから💢
そこからずっとグチグチ言ってて、家についたから私ははなれました。
結局、学会員にとって、それが幸せになるためなんだから、信仰の自由なんてないんです。
選ぶ権利もなくて、
創価学会に入らせることが幸せなことだから、相手が嫌がっていようが、無理やりだろうが、結果的に相手を幸せにすることと信じているから、信仰の自由なんて認めないのです。
そんな母に、強制することは宗教虐待だ、なんて言ったって、ホウボウだ💢とか、激昂させるだけで、理解してもらえるはずがない。
これはすでに強制ではない。
幸せになるために促している?
悪の道に行かないようにサポートしている?
そうゆう、感覚。
それを思うと、結果的に、身体的な虐待や、金銭的な虐待じゃない、創価学会のような精神的な虐待は、
学会員たちも受け入れないし、理解しないし、
それを盾にしてわたしたちは自分を守ることも出来ない。
相手が学会員じゃなかったら結婚しないとか、させないとか、入会するよう迫るとか、そうゆう話をしてるのかな。
昔の話だと、相手に内緒で入会させちゃった、ってのを座談会で幹部の人が話してたことある。
母も、姪を、姉の旦那に内緒で入会させちゃいなさいって言ってたことあるし。
入会させちゃえば幸せになるんだからって。
それによって家族の信頼関係とかが失われることは気にしない。
だって、それが幸せになるためなんだから。
そうやって、独善的に行動していき、社会から孤立していても、すでに気にならなくなってしまう、のが、宗教なのかもしれません。