○ちゃん、御本尊様に題目三唱していきなさいっ!
家を出るギリギリのとき、ちょっと強めに母が娘に言います。
娘は知らんぷりして私のところにきました。
大丈夫だから、私とやるから。
って母には私が言います。
母は、
池田先生が全部みてるんだからね!
折伏すれば功徳があるように、やらなかったらおそろしいんだから。
と言い、
勤行の大切さをといた新聞か何かを大きな声で音読始めました。
気にしないで玄関に向かうと、今度は息子が
ママ、ばあばちゃんがね、ぼくになんみょうほうれんげきょうしなさいって言うの。
って小さな声で伝えてきます。
嫌だったら、やらなくてもいいからね、僕大丈夫だからってばあばちゃんに言ってね。
って伝えると、息子は、ベッドルームに行き閉じこもりました。
きっと、リビングで音読している母から避難したのでしょう。
仕事のため、息子を母に任せなければならず、息子に嫌な思いさせてるのが申し訳ないです。
やりたくないことを毎朝、やれと圧をかけられ、それをやらないって断るのってすごくストレスだよね、ごめんね。
池田先生が全て見てる。知ってる。わかってくださっている!
って学会員は言うけど、本当にそうだと思ってるのが、危険だと思います。
そう思いこむのは、人間革命を読んで、山本伸一さんが、知ってますよ、見てますよ、わかりますよ、または、伸一は沿道の人々が学会員だとわかっていたのだ、みたいな記述がたくさんあるからじゃないでしょうか?
あれを書いたのは池田先生だから、逆に、その沿道の人々が本当に学会員だったか知らないし、山本伸一さんに指導をうけた相手の心側の意見は書かれない。
山本伸一さん側の意見。
わかってますよ。
知ってますよ。
辛かったですね。
そんなふうに言われると、苦しんでる人は救われた気持ちになるし、傾聴するというのはとても良いことだと思います。
でもそれを本気で信じていたら、それは、神様の領域ではないでしょうか。
子供たちからしたら、知らない池田先生って人が、自分の行動を監視している、知らないうちに評価されてる、って感じるでしょう。
恐怖ですよ。
でも学会員は、歓喜の対象。
見てくださっている!
人間のおじいちゃんである池田先生が、普通の家族の中の小さな子供たちが、題目あげてるか、見てるの??
それを学会員みーんなにやってるってことでしょ。
すごいですね、やっぱり神様なのかもしれません。学会員にとって。
ひとつ立ち止まって考えてみる。
そんなことも、偏った情報に流されて、もう出来ないのです。
他の新聞なんか読むな、そんな時間があるなら池田先生の書籍を読みなさい!
そうやって、一つの情報だけを詰め込むほどに、偏っていく。
多様性や他者の考え方を知らず、受け入れられず、いろんな考え方があることも想定できなくなってしまう。
池田先生を非難しているわけではありません。
カリスマ性のある人が書いた人間革命は、ドキュメンタリーではないのです。
あくまでも、フィクションなのです。
なのに、それが歴史だったかのように、バイブルとされ、それが教材となり、それが真実となっています。
皮肉を言いたいわけではないのです。
ただ、活動しないことで、バチが当たるみたいに、脅迫されるのは、苦しいのです。
子供たちを、追い詰めるのが、嫌なのです。
これが、学会の家庭なのです。
いや、でも本当に池田先生にはそうゆう能力があるのかもしれない、
そんな考えが半分頭に浮かんでしまって、振り払えない、否定出来ない、
私はまだ、洗脳の中にいるのかな、それとも、やっぱり、本当のことなのかな。
ほら、わからないのです。
だから、押し付けないで欲しいです。
これが真実だ!
って価値観を。
これをやらないお前が悪いんだ!
間違ってるんだ!
そうなのかな‥‥。
私が、間違ってるんだな。
そう思ってしまいそうになる。
苦しいのです。