幼稚園の運動会。
小学生の娘もお友達に会えるので楽しみにしてたけど、風邪の具合が悪いので、自宅でお留守番。
母もいる。
娘に言っておく。
ばあばちゃんが何か言ってきて、もしうるさかったら、違う部屋に行くんだよ。
って。
幼稚園の運動会。
小さな子供たちが頑張る姿はほんとにかわいい。
そうゆうの、見るよりも題目が大切っていう母は、すごく損してるなって思う。
でも本人なりの愛情なのかも、と擁護してみる。
子供たちに向き合わず仏壇しかみないのも、運動会は応援することは題目あげることが一番だと思っていることも。
信心が一番だと思っているから、仕方ないのかなって。
でも、
おばあちゃんおじいちゃん(って言っても今の人達は若いから私くらいの人がおばあちゃんで母位の人はひいおばあちゃん)が、小さな子供をあやしたり、運動会の会場で子供たちに拍手を送る姿をみると、
そうだよねぇって思っちゃう。
普通、そうだよねぇって。
婦人部の幹部の人も、何年か前、お孫さんが娘と同じ幼稚園だったから、発表会に夫婦で来ているのを見たことがある。
自分の孫じゃない子供たちにも
良かったよ!
上手だったね!
すごかったよ!
って、ステージから歩く子供たちに声をかけてた。
そうゆうのを見て、菩薩とか、心が豊かとか、あったないなって思った。
もちろん、それがその人の全てかわからない。
ただの外面かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、仏教者?として、信心をして心が豊かって表現するなら、そうゆうことかなって。
発表会や運動会を見ないで題目あげることが応援とか、見に行くことよりも題目あげていたいとか、そうゆうのが、なんか薄情だなって思っちゃいながら、それを振り払おうとしてる私。
自分の親だから。
今日は結果的に、娘を一人で留守番させなくて済んだから、母が運動会に来ないことを責めるつもりもない。
そうゆうものだと思うと、なんだろ、ん、なんかがっかり?
だよね、運動会より題目だよね、言うと思った。
って納得するだけ。
具合の悪い娘に題目させてないか心配で、運動会から急いで帰ってきた。
息子を旦那に任せて、子供たちの帰宅が始まる前に帰ってきた。
ら
リビングで、
母が
聖教新聞を音読しながら娘に指導していた。
具合の悪い娘に、
ねっ!○ちゃん。
大聖人様が一番なんだから。
ねっ!
そんな音をきいて、
あぁ、私が不在の時間も、ここではこれが続いていて、娘は休めなかったな、悪かったな
ってガックリしました。
調子が悪い孫にどうするべきかも、信心の継承の前では、ゆっくり静かに休ませるみたいな思いやりは選択肢に入らず、こうなってしまうのです。