木曜日は同盟唱題なんだからちゃんとやりなさい!
信心強情な母にはやらないなんて選択肢がない。
でも私は私。
信心してるから、あれやれ、これやれ、やらないとほうぼうだ、感謝が足りないって、怒られる。
私が嫌な思いしてても、無理にでもやらせることが結局私が幸せになるのだから良しと思っている。
嫌な思いしている、って反論しても、届かない。
伝わらない。
母の中に、絶対の信心があるから。
私の言葉は届かない。
私を思うようにさせようと、母が罵り、罵倒し、嫌みを言うほど、冷静になる。
学会が言ってることと、母からの私への指導は、違う。
信心していて、我が家で一番境涯が高いはずの母が、一番人の悪口を言い、私を口汚く罵り、やらないと魔にまけてしまうと脅迫し、いつも口論の発端は信心を強制するとき。
全然穏やかでも朗らかでもない。
ちゃんと書籍を読んでいるなら、なぜそんな人格になるのか。
でもこの家で一番信心強情なのは母。
だから私が異論を唱えても聞き入れない。
やり方を変えない。
だって私は活動もしていない境涯の低い立場だから。
親子の間に上下関係があり、まるでブラック企業のようだ。
やらないと人格否定するのは当たり前。
そうやって暴言をはき、脅迫をして、無理にでもやらせる。
それが幸せのためだから、良かれと思ってね。
全然私はハッピーじゃない。
って言ったら、
仏動修行って言って修行なんだから当たり前だ
って言われたことがある。
信心以外の話はほとんどしない。
これがなければ、母は花好きの穏やかなおばさんになっていたと思う。
穏やかさは、ない。