先日、姉が母を選挙活動の手伝いで車で遠くまで乗せていってくれた。
私の娘が読書感想文コンクールで入選した。
姉の子供の描いた絵が市で選ばれてお祭りで飾られた。
そこで、
母は言う。
「絵が選ばれるなんて、選挙の功徳はすぐでるから、この前活動した親の功徳だね!
うちは題目が少ないから。
親の功徳で子供が守られるんだよ
題目あげてるからだね」
活動しない私の娘だって、感想文選ばれたけど。
誉められるわけではない。
功徳だって言われるわけじゃない。
良いこと=功徳
功徳になるようなことをしていない人の、良いことは、スルー。
子供からしたら、頑張ったからだねって、言われるわけじゃない。
かわいそう。
功徳です。
子供が頑張ったからじゃない。
功徳です。
それに
幼稚園の運動会。
かけっこが得意な息子のレースは、速い子供ばかり。
だから一位になるのはとても難しい。
息子は最後でした。
でも、運動会はとても楽しくて、みんなとかけっこ楽しくて、それだけの感情で。
なのに帰宅して母からの最初の言葉は
「一位になれた?!」
順番なんて関係ないし、頑張ったことが大切で、でもそんなこと母にはわからない。
一位になったらご本尊さまのおかげとか、おばあちゃんが祈ってたから、とか言うつもりなんでしょう。
私が順位とか関係ないし、頑張ったことが大切なんだから、そうゆうこと言わないでって言ったら
「おまえはそうやって逃げてるからダメなんだ。次は頑張ろうとか、悔しいとか、思うようにさせなきゃいけないんだ」
って言われた。
大きくなったら、そうかもしれない。
でも年少さんの運動会、お友達の勝ちを喜べるような、みんなで頑張ったことを喜べるような、そんな風が、私はいいなと思う。
選挙の功徳はけいやく?(けい益?)だから、すぐ結果がでる。
これは学会ではよく言われる言葉で、でも、ずっと昔、この宗教ができたとき、選挙も公明党もなかったのに、これを応援することでご本尊さまが功徳をあたえるって、なんだか意味がわかりません。
人はそれぞれで、望む政策もそれぞれで、公明党ではなくて違う党の方針の方が生活に役立つ人だっていると思う。
だから「絶対公明党!」とは思えないし、それを世界をみてる?ご本尊さまがそれだけを応援していて、活動してる人に功徳をあげよう!って、なんか変。
でも学会はこれみんな言ってる。
選挙の功徳。
絵も、感想文も、子供たちが頑張ったから。
かけっこも頑張ったから。
「よく頑張ったね!」って私は言ってあげたい。