コロナが流行りだしてから
学会ではファミリー座談会とか、同盟座談会といった、各家庭での座談会に切り替えた。
聖教新聞に載ってるファミリー座談会は、
家族がにこやかに、
小さい子供たちも無邪気に話したり、
和気あいあいとした、
明るい、
座談会。
我が家のファミリー座談会は、
会合なんだから💢
と小さな子供に静かにするよう強要しピリピリとした空間にしばりつけ、
母が「指導」という名で、私と旦那の活動しないことを咎める説教の時間。
学会歌を歌うのは、1人機嫌のよい母。
選挙の話。
大百蓮華の記事を引用して、活動しないことは勇気がないからだとか、意気地無しだからだ、とか。
旦那に
「学会の指針は?」
と質問して、わからないって返事をするのを待っている。
そして
「こんなこともわからないなんて」
と貶す。
試験じゃないんだから人を謀るようなことして意地悪に感じた。
指導の中に、優しさも励ましも温かい心も、ない。
ただ、ただ、
私たちを罵り、否定し、罵倒する。
と、私たちは感じている。
母はきっと、活動させるための、講義?とか?。
私たちが反論することは許されない。
私が実の娘だから、母に意見を言う。
すると
「そうやってかばうから成長しないんだ💢」
って聞いてももらえないし、話の内容なんて伝わらない。
旦那が言葉を発することはない。
だって何を言っても伝わらないしバカにされるだけだから。
黙って、意見の言葉も、怒りの言葉と共に、抑えてる。
ファミリー座談会が終わるまで、たぶん旦那は怒りをグッと抑えてる。
だから終わると自分の部屋に行く。
それを見た母が
「座談会おわったばかりなのにもう席をたつなんて感じが悪い💢」
ってまた悪口言ってる。
座談会で何を勉強してるのか。
心もきれいにならない。
私たちにとって、ほんとに苦痛なファミリー座談会は、コロナ渦で毎月1回行われた。
上からお達しがない月も、母は自主的にファミリー座談会をやった。
それは、我が家が活動を頑張っている、と言うアピール。
私たちは苦痛で苦痛で。
自宅でやるから拒否も出来ない。
ほんとひどい座談会だった。