今日の聖教新聞、医療のページ
強迫症(上)
強迫観念という思考面の症状
強烈な不安やイメージが頭に浮かび払い除けられない。
その不安を打ち消すために行うのが
強迫行為。
この行為をすれば安全だ
という考えが
この行為をしなければ安全ではない
にすりかわってしまう。
と書いてありました。
これは、母の学会や信仰に通じるように感じました。
題目あげてれば幸せになれる
が
題目あげないと幸せになれない。
幸せにするまいとする魔がくる。
だから題目あげないといけない。
何時間もあげないと魔がくる。
そうやって、何かに怯えて、生きているようにも見える。
そして
娘の私が、
題目あげないから幸せになれない。
活動しないから、成長しない。
そう決めつけてしまう。
強迫観念と強迫行為が互いに強めあって循環し、さらなる悪循環。
信仰してるのに、
穏やかに暮らせないし、
人を非難批判するばかりで、明るくもない。
なんなんだろう。