創価学会 宗教二世の日々 創価の母と同居中

創価学会二世です。家庭内のこと、辛くても誰にも言えなくて、blogで気持ちをぼやきます。もし同じような方がいらしたらコメント欲しいです。だよねぇって話したいです。

歌舞伎役者さんと天災

独身時代、

医療従事者として緊急病院で働いていた私は、朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきて、土日も夜も、ほとんど働いていたから、母と会う時間はなかった。

忙しすぎたから、活動しなさいと言われることもなくて、私としては過ごしやすかった。

結婚して、小さなクリニックでパートとして働きはじめると、母と過ごす時間が出てきて、

人間性に疑問が生じるようになった。

小さな事が、1つずつ増えていく。

 

人間国宝の歌舞伎役者さんが亡くなったってニュースみると

「こうゆう人たちは昔のホウボウばっかりしてるから長生きしないんだ」

って言ったんだ。

母が言いたいのは、

日本古来の伝統文化には神事やお寺の行事と関わることが多いから、それは唯一絶対の創価学会からしたらホウボウをしていて、それのバチで長生きしないんだ

ってこと。

この人を大切に思う家族もファンの人もたくさんいて、亡くなったことに多くの人が心を痛めている。

悲しんでいる。

この役者さんがどんな人生を送ったか、どんな日々を過ごしたか、どんな人柄だったのか、知ってる人はたくさんいると思う。

なのに

ホウボウしたのかわからない。

悪いことしたのかわからない。

何も、ほんとに何一つ知らない母が、人間国宝にもなった人の命も人生も侮辱するなんて、すごく、失礼だと思った。

この人やまわりの人に申し訳ないと思った。

なんか、自分の親だけど、そんな考え方にガッカリした。

 

各地で、天災が起きると、母は言う。

「この土地に住む人は福運がないんだね」

って、切り捨てるように言う。

大変だねぇ、辛いだろうねぇって、痛みに寄り添ったり心配したりするのではなく、

福運がないから仕方ない、みたいに、

そしてその天災が起きていない自分は福運があって、その人たちとは違う、と見下しているように、いつも聞いていて感じるのです。

いつもそう言うのです。

だから、いつも、嫌なんだ。

すごく、なんだろ、心がない、感じがする。

私の親だけど、困っている人や辛い思いをしている人への気遣いがない。

聞きたくない。

母の性格じゃなくて、これは、母の学会の解釈で起きてる考え。

ほうぼう。

福運がない。

だから仕方ない。

信心してない。

ホウボウしてる。

だからそうなって当然。

 

そうゆうものなの??

他者を労り、慈しみ、慈悲と優しさ、菩薩の心、

それは他宗教の相手や活動しない人には、向けなくて当然だと思っている、

それが、私は変だと思う。

 

こうゆう、何気ない日々のなかにある、母の解釈を知るにつれ、1つずつ、なんか嫌だなって言うのが増えていく。