創価学会 宗教二世の日々 創価の母と同居中

創価学会二世です。家庭内のこと、辛くても誰にも言えなくて、blogで気持ちをぼやきます。もし同じような方がいらしたらコメント欲しいです。だよねぇって話したいです。

さつまいも掘りにも題目三唱

幼稚園で息子がサツマイモ掘りをしてきました。

サツマイモの茎1つずつ割り当てられて、それぞれが自分のところを掘る感じです。

去年はすごく巨大なサツマイモ一つのと、あと小さなサツマイモが何個か持ち帰って来ました。

今年は、手頃なサツマイモを2つと小さなさつまいも数個収穫出来たようです。

息子に

すごいね!たくさん掘れたね!

って私は褒めましたが

母は

 

題目あげたから、みんなよりたくさん掘れたんだよ、

去年は良くなかったけど、今年良い場所掘れたのは題目の福運だからね、よくなったんだから。

 

と言いました。

 

私が仕事の日だったので、おそらく、朝、息子に題目三唱させて行ったのかもしれません。

それを褒めるための口実だとしても

なんか、それって、去年がダメだったみたいで、すごく嫌な感じがしたのは、私だけでしょうか。

去年と比較する必要あったのでしょうか?

去年は題目三唱してなかったけど、今年はしたから良くなったって言いたいのです。

でも去年だって息子は楽しくさつまいも掘りしたし、頑張ったのです。

それを、

「去年は良くなかった」

とか言う意味がわかりません。

 

そして、

「みんなより」

って他者と比較する必要あったのでしょうか。

実際、みんなよりたくさん掘れたわけではありません。

集合写真ではバケツからはみ出すほどのさつまいもを収穫した子供たちがたくさんいました。

でも、

題目三唱したから

みんなより

優れている、

そう、思わせる言葉。

みんなを

下に見る

言葉。

題目三唱したら

みんなより

上。

 

私が、歩んだ道。

人を見下し、バカにして、私は学会員だから、題目してるから、御本尊様が守ってくれるから、

偉いんだ。

みんなより、上なんだ。

みんなは他宗だから、ダメなんだ。

理解しないなんて、愚か者だ。

 

その、始まり。

こうやって、少しずつ、小さな時から、少しずつ。

間違った考え方が、浸透していく。

 

さつまいも掘りで、誰かと競争する必要ないし、誰より多いとか、そんなの関係ない。

みんなで仲良く楽しく収穫することが大切だと思う。

 

でも、そんな楽しい秋のイベントでさえも、学会員からしたら、題目や功徳を表現する場であり、他者を見下す1つなのです。